同窓会について
関西大倉学園の前身は明治35(1902)年、大阪最初の夜間学校として、当時日本工業会の指導者の一人であり、大阪財界で重きをなしていた平賀義美先生(関西商工学校初代校長)らによって設立された関西商工学校(関西実業学校)です。もう一方の前身である大阪大倉商業学校は明治40(1907)年、当時我が国の財閥の一つであった大倉喜八郎氏によって設立されたものです。(大阪大倉商業学校 初代学校長は安場禎次郎先生)
それぞれ特色ある教育が行われ、幾多の有為な人材を社会に送り出してきました。両校とも創立後まもなく教職員、卒業生、生徒及び学園と縁故ある者をもって校友会が組織されました。また、関西商工学校では『校友會誌』が、大阪大倉商業学校では『浪速津』という名称の校友会誌が発刊され。会員全員に頒布されていました。
その後、大阪大倉商業学校では大正14(1925)年、校友会より独立した同窓会が生まれ、昭和2(1927)年に如蘭会と命名されました。関西商工学校は校友会として活動していました。なお、同窓会・校友会の活動の拠になっている会則・規約の条文には次のように同窓会の目的が記されています。
「本會ハ會員ノ交誼ヲ厚クシ、併セテ母校ヲ後援スルヲ目的トシ、其ノ方法トシテ、毎年一回會誌及會員名簿ヲ発行シ、其ノ他講演運動會ヲ催スルコトアルベシ」(関西商工学校校友会)
「本會は各期同窓會相互の連絡を執り、會員の親睦を圖るを以って目的とす」(大阪大倉商業学校如蘭会 ※大阪大倉商業学校では如蘭会の下部組織として卒業年度毎の同窓会がつくられ、それぞれ規約も作成されました)
これらの条文にたがうことなく同窓会活動は展開されていました。しかし、太平洋戦争直前頃からの厳しい社会情勢は同窓会活動を休止状態に追い込んで行きました。関西商工学校と大阪大倉商業学校は共に太平洋戦争直後の未曾有の混乱と新学制を実施していくための困難な壁に遭遇し、厳しい状況におかれていました。
この危機を克服して新しい時代の要求に応じ、長き歴史と伝統を有する両校を再生し発展させるため、昭和23(1948)年9月に両校は合併し、関西大倉高等学校、関西大倉中学校の名称をもとに新発足しました。自然休止状態にあった前身二校の同窓会も昭和29(1954)年頃より再び活動を始めました。その年に大阪大倉商業学校が戦後第一回如蘭会総会を開催、関西商工学校は昭和31(1956)年に校友会総会を開催し、会を「大仁会」と命名しました。また、それぞれの同窓会は「如蘭会会報」、「大仁会報」を発行しました。
関西大倉高等学校卒業生を会員とする関西大倉同窓会は昭和32(1957)年に誕生しました。その後10余年間、三同窓会は独自の同窓会活動を行っていました。昭和47(1972)年、学園創立70周年を契機に三同窓会が合同することになり、大仁会、如蘭会が解散し、翌年三同窓会合同の新同窓会総会が開催され、会は関西大倉同窓会と命名されました。こうして誕生した関西大倉同窓会は前身二校で培われた伝統を継承するとともに更に同窓会員相互の親睦を深め、併せて母校関西大倉学園の発展に寄与することを目的に活動しています。
下記の目的を達成するために次の事業を行っています。
- 会員相互の親睦を図り、教養を高めるため、総会および懇親会、講演会などを開催
- 母校の教育活動の支援に関すること
- 会報その他の印刷物の発行及び名簿に関すること
- 特別会員並びに会員の慶弔、表彰などに関すること
- その他目的達成に必要なこと
また、対外的活動としては昭和59(1984)年に姉妹結縁を締結した韓国善隣インターネット高等学校(旧善隣商業高等学校)總同門会との親善友好交流を推進しています。
母校関西大倉高等学校は創立以来120年の歳月が過ぎ現在では5万1千人(令和4年4月現在)の卒業生を輩出し、多方面で活躍されています。
今後も増え続ける卒業生ともども関西大倉同窓会をより一層充実、発展させていきたいと存じます。
今後とも何卒よろしくご協力、ご鞭撻のほどお願いいたします。
沿革
1902(明治35年)
関西商工学校 創立
1907(明治40年)
大阪大倉商業学校 創立 創立と同時に校友会が組織され、「浪華津」(会報)が発行される。また、関西商工学校校友会が組織され、「校友曾誌」の発行を開始。その後、同窓会員数の増加に伴い校友会活動も活発化する。
1925(大正14年)
大阪大倉商業学校、校友会より同窓会が独立。 第一回同窓会総会が開かれ、同窓会報創刊号(月刊)が発行される。
1927(昭和2年)
大阪大倉商業学校、同窓会を「如蘭会」と命名し、同窓会報を「如蘭会報」と改題する。
1928(昭和3年)
関西商工学校、同窓会有志により平賀義美校長の胸像を鋳造し、校舎(大淀校舎)前に建立、除幕式をあげる。
1932(昭和7年)
大阪大倉商業学校、母校創立25周年を記念して謝恩会を組織し、卒業生より寄付を募る。集まった拠出金で安場禎次郎校長の胸像を鋳造し、母校に寄贈する。
1954(昭和29年)
大阪大倉商業学校、休止状態だった同窓会活動が再開され、第一回会合が開催される。 「安場禎次郎先生小傳」刊行。
1956(昭和31年)
校友会を「大仁会」と命名
関西商工学校、校友会が母校で開かれ、校友会を「大仁会」と命名する。
1957(昭和32年)
関西大倉同窓会 発足 関西大倉高等学校卒業生を会員とする関西大倉同窓会が組織され、第1回総会が開かれる。
1963(昭和38年)
茨木移転
母校の茨木移転を祝し、体育館舞台に緞帳を寄贈する。
1968(昭和43年)
大淀の旧校地を記念する顕彰碑の建立
同窓会有志により大淀の旧校地を記念する顕彰碑が建立され、除幕式を挙行する。場所の関係により旧校地の近くの八阪神社境内に建てられる。
1972(昭和47年)
創立70周年記念碑 除幕式 如蘭会総会において、関西商工・大阪大倉・関西大倉の三同窓会合同と如蘭会解散の決議がされる。母校創立70周年に際し、三同窓会より各100万円を拠出し、創立70周年記念碑を建立、除幕式を挙行。三同窓会による「母校の思い出」が刊行される。
1973(昭和48年)
関西大倉同窓会 発足
関西商工・大阪大倉・関西大倉の三同窓会合同の新同窓会第一回同窓会総会が開かれ、名称を関西大倉同窓会と決定される。
1982(昭和57年)
母校創立80周年に際し、大阪大倉商業学校創設者大倉喜八郎翁の胸像を鋳造し建立。
1984(昭和59年)
大倉喜八郎翁創立の大韓民国(ソウル)の善隣商業高等学校(善隣インターネット高等学校)総同門会と関西大倉同窓会が姉妹結縁を締結する。その後、両校教職員・同窓会会員による相互訪問が行われる。 旧如蘭会により、北区中之島(旧常安町)の旧校地跡に記念碑が建立される。
1987(昭和62年)
関西商工学校、大阪大倉商業学校、関西大倉高等学校 三同窓会合同の「同窓会名簿」を発行。
1992(平成4年)
母校創立90周年祝賀会開催する。三同窓会合同の「同窓会名簿」を発行。
1998(平成10年)
母校創立90周年祝賀会開催する。三同窓会合同の「同窓会名簿」を発行。
2000(平成12年)
「関西大倉同窓会報」(年刊号)に変わり、母校の広報を兼ねた新会報「サイカス」(年2回発行)を創刊する。
2002(平成14年)
母校創立100周年祝賀会開催する。三同窓会合同の「同窓会名簿」を発行。関西大倉高等学校初代校長髙木美喜次先生の胸像建立。『100周年記念誌』発行。
2007(平成19年)
記念誌『わが母なる学窓』(大倉喜八郎が生み安場禎次郎が育てた、日本実業教育界のパイオニア)を発行。
2012(平成24年)
母校110周年を記念し、大淀校地跡地に記念石碑建立し、記念誌『関西商工界の父・平賀義美』を発行。
2014(平成26年)
善隣インターネット高等学校・総同門会との姉妹結縁締結30周年記念式典・祝賀会開催(韓国 ソウル)
2022(令和4年)
母校120周年を記念し、高校棟および中央共用棟の竣工、記念式典を開催する。『学園創立120周年記念誌』発行。
同窓会役員
役職 | 氏名 | 卒業年次 |
---|---|---|
会長 | 髙寺 淸 | 1966年 |
顧問 | 清水 信昭 | 1961年 |
副会長 | 松本 光男 | 1971年 |
島村 和臣 | 1975年 | |
池田 晴彦 | 1975年 | |
平井 聰好 | 1981年 | |
岸本 光生 | 1983年 | |
松本 紗也子 | 2003年 | |
監事 | 米光 秀夫 | 1979年 |
尾崎 正典 | 1980年 | |
常任理事 | 前田 一成 | 1977年 |
中山 照久 | 1981年 | |
木村 正宏 | 1984年 | |
板垣 英治 | 1989年 | |
島井 宏尚 | 1993年 | |
石原 華奈 | 2003年 | |
藤川 洋平 | 2008年 | |
松尾 亮佑 | 2013年 | |
丸岡 拓真 | 2013年 | |
【 事 務 局 】 | ||
事務局長 | 本田 順 | 1976年 |
担当理事 | 向井 史 | 1994年 |
重松 佑輔 | 2011年 | |
伊藤 篤弘 | 2016年 | |
重松 洋輝 | 2018年 |